「日本の常識!アメリカの常識?」改め・・・
語学留学のつもりが大学へ、海外就職へ、国際結婚へ・・・。あっというまに在米6年、永住権アリ。でも最初の頃は英語や習慣の違いにびっくりしたり、かなしかったり。今だから笑える苦労話を、これから留学する人、海外生活に憧れてる人へ!
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アメリカの大学では授業中の発言が成績にかなり影響する、とよく聞きますよね。いくらEssay(小論文)がちゃんと書けてもClass Participation(授業参加)が悪ければパスしない、とか。ESLを終了し、大学1年用の英語クラスを取ることになったとき、私もそのことが心配でした。アメリカ人学生と一緒に英語の授業というだけでもかなり緊張するし、発言しようにも他の学生が言ってることが聞き取れなければ意見の言いようもないですから。間の抜けた発言をしてシーンとなったらどうしよう、とか留学生なら誰でも不安になるものです。ところが私の場合、英語クラスの2日目にこの不安はきれいさっぱり解消してしまいました。
1日目は文章力チェックのためのin-class essay(先生のだすテーマについてその場で小論文を書く)だったので、実際の授業がはじまったのが2日目でした。前日に課題として読むように指定されたテキストは同性カップルに夫婦としての権利を認める運動についてのノンフィクション。サンフランシスコに近い場所柄、このテのテーマはよく取り上げられます。先生の「著者はこの運動に賛成か反対か」という質問に、まずいかにもスピーチが得意そうな30歳くらいの白人男性、ちょっとキツイ口調で発音にクセのある黒人の若い女のコが間髪入れずに話し出します。答える、というよりはしゃべり出す、という感じ。次に「じゃあ、あなた方自身はどう思う?」という質問がくるとさらに2人くらいが続けて肯定的な意見を述べました。こういうテーマの時は賛成のほうが批判を受けにくくてラクなので、ここらで「私も賛成、なぜなら同性異性に関わらず家族なんだから…」とかなんとか気の利いたことを言っておきたいところだけど、なかなか口を開くタイミングが難しいし、「なぜなら…」の先がうまくまとまらない。"I agree, too" だけではあまりに間抜けで恥ずかしいし・・。とドキドキしている間に大半の学生が意見を出し終わってしまいました。となると、まだ発言していない人にみんなの視線が集まります。なんとなく指名されたような形で小さいな声で話し出したのは高校から大学に直接入学したばかり、という感じの男のコ。だぼだぼパンツにスキンヘッドのわりにはシャイなようです。
「同性のカップルを結婚してる夫婦と同じと考えるのは正しくないと思う…。」と始めた彼はなんと同性愛反対意見。夫婦としての資格を認める、どころか、ゲイは良くない、ゲイ・カップルは認められないの一点張りで、先生も含めてクラス中があっけに取られてしまいました。サンフランシスコ近郊で表立って反ゲイ意見を言う人なんてそうそういないからです。一瞬誰もが言葉を失ったすきに、私は思いきって「ちょっと待って。一体なんでゲイは良くないの?」と聞いてみました。その質問で他の学生たちも我に返ったように、「そうそう、根拠は何なんだ?」と口々に聞きます。その時の私に向かっての彼の返事 ― 「知らないの?聖書にそう書いてあるじゃん。」
この堂々とした発言を聞いた途端、私はそれまでの緊張感とか不安とかプレッシャーが私の中から一気に消えてしまったような気がしました。
『大学の授業で、大学生が、臆面もなくコンナコトを言う?!』
この彼の発言に比べれば、私の間の抜けた質問とか意見のほうがよっぽどマシじゃないですか。しかも彼のばかばかしい根拠を聞いても笑う人はだれもいなくて、「宗教的観点はみんな違うからそれは理由にならないよ」と真面目にディスカッションが続きます。つまりこの時私は2つのことに気づいたわけです。1つは他のアメリカ人学生は「気の利いたこと」を考えて発言しているわけではなくて、ただ思ったことをそのまま口に出しているだけだということ。もう1つは、どんなに無知なことを言っても誰も笑ったり批判したりはしないということ(これは後に他のクラスでも証明された。アメリカが右翼国家だなんて知らなかったー!、と驚いた女のコに先生も他の学生も「右か左かいうと右寄りだね」「共産主義とは正反対だから」とわかりやすく説明、「何をいまさらソンナコトで驚いてんの?」とプッと笑ってしまったのは私だけだった…。)
そうなのです。彼の「だって聖書に」発言のおかげで。私はその後どのクラスでもどんな意見でも平気で言えるようになってしまったのです。「だって聖書に」が許されるんならどんなつまんない発言でもOKっていうことじゃないですか。発言中に自分で自分の言ってることがわからなくなったら、そのまま "…well, I don' t know what I'm saying. I'm confused."(えーと、何いってんのかわかんなくなっちゃった。混乱してるなぁ。)と口に出してしまいます。それでも誰も気にしません。最初の英語のクラスを始め、その他の一般教養クラスでも先生からは「授業中も非常に積極的」という評価をもらうことができました。発言が重視される、というのは要するに発言することがポイントなのであって、発言内容が重視されるわけではないというのが私の体験からの結論。ようするに先生に自分のことを覚えてもらうのがコツなのです。(もちろん専門科目とか大学院レベルの場合は話は別ですが。そもそもそういうクラスではエッセイが最重要視されるはず。)
日本の学校教育では、授業中の発言=正しい答えを発表する、という場面が多いので手を挙げて発言することに緊張してしまいますが、アメリカでは小学校の頃から「この答えは何ですか、XXくん」ではなく、「君はどう思う?」形式の発言なので「間違えた。恥ずかしい。」という感覚はないそうです。むしろ、発言しない=意見がない・話題がない・人付き合いが悪い、と思われがち。もともと日本でも話題がなくて人付き合いが悪い、と自他共に認めていた人ならともかく、誤解されるのは損ですよね。手を挙げて発言する勇気がなければ、まずは小声で独り言を口に出して言うようにしてみて下さい。隣りの席の学生が「実は彼女がいまこう言ったんだけど、僕も賛成。」と代わりにきっかけを作ってれることもよくありますから。とにかく思ったことは口に出す、これが脱・シャイな日本人の第一歩ですよー!
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